旧尼崎支部長梅井氏が琢磨会海外(欧州)開拓のパイオニアあることは、当時を知る我輩がよく存じております。
梅井支部長は特に初伝の基礎を幾度となく欧州に渡り教授しました。米人も同じで最初の端緒を築いたのも彼でした。その後、総伝普及のため渡欧したのが朝日の重鎮、天津師範でした。米国人の方にも端緒を築いたのも天津師範でした。オーストラリアに総伝を認識させたのも彼でした。その後、海外が軌道に乗った後指導に当たったのが旧指導部長でした。
梅井氏が琢磨会を去るまでは彼の業績を称えましたが、彼が去ると少し前からかいつの間にかほかの方々が海外を開拓したように紹介されています。欧州人の方は非常に合理主義的な考えの方が多いように思います。梅井氏や朝日の重鎮天津師範が幾度となく渡欧し初伝、総伝を指導したにも関わらず、去られた後や亡くなられた後は音沙汰なし、来日しても無関係でいられるのは如何に何故?
欧州初伝指導パイオニア・・・梅井師範(前尼崎支部長)
欧州、豪州総伝パイオニア・・・天津師範(琢磨会師範、久琢磨の同僚)
上記の者の活躍があってこそ旧琢磨会欧州支部が今に繋がっていることを再確認して頂きたいものです。
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