この数年、技の技量向上どころか違う方向へ進んでいると危惧。継承技の取り違えや古武道としての礼に始まり礼に終わる形すら未来前衛芸術的な感を呈している。奇麗に演舞することが演武になり、技を熟れることなく、また棟梁の存在なくして完成域に到達できず,未完を未熟と認識できず、誰もが暗黙で物言わず出来上がりに満足するなどは五重塔の心柱(芯柱)が無いのと同じ。舵も壊れた帆船と同じ。ああ辛か。
師範と謳うのであれば、演武する者は現演武者の責任でなす技であるので、老師の責任技にするのではなく、軽々しく老師の名を使うのは心苦しい。我の技に責任もって指導・演武と行きたいものである。
本日の稽古は、来週の審査会に備えての審査技の稽古中心。最後に惟神総伝稽古(膝附形固め逆腕極め95ページ)。来週は審査後、合同稽古。四ヶ条、惟神総伝(両羽捕り96ページ)を稽古予定。コロナ予防対策実施のうえ、今日も稽古をしました。当分は同様な方針で稽古予定です。琢磨会会員なら稽古参加できます。定例本部合同稽古会がない中での参加を歓迎いたします。(要事前連絡)
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