初めにこの方々お二人がいなければ琢磨会には118ヶ条全てが広がっていなかったと確信しています。
その一人とは小松島の故蒔田先生です。師は、大阪琢磨会へ幾度となく指導に来られ、金剛山にも幾度となく合宿指導に来られ、琢磨会の初伝の基礎を築いたと言っても過言ではありません。師がこの世を去ったのちも詳細な資料に基づき吾輩の五ヶ条普及や上級技の大いなる手助けとなりました。
師のお陰で、実際に五ヶ条を猛稽古し実技で琢磨会創設後、初めて五ヶ条審査に臨んだのが今なお現役の小泉師範です。当時の琢磨会審査会では五ヶ条審査は想定しておらず、想定外の五段審査に半ば強制的に受験し、皆さんの前で初めて五ヶ条技を披露しました。
当然、幹部連中のみならず四国の先生もびっくり、初めて見る五ヶ条技ですので当然です。(のちに四国先生に呼ばれ四国五ヶ条も教えて頂きましたが、私が知っていた同じ技内容でした。)
実際の小泉師範五ヶ条披露には、これとぞばかりビデオを取り、写真撮りなど以後の五段推薦審査に与えた影響はかなりのものです。
小泉師範以降、五段は受験ではなく推薦ですが、しかし五段取得後模範演武で五ヶ条を披露する慣わしになりました。総伝土曜クラブでは五段推薦時も五ヶ条実技を必ず審査会で人前演武を課しています。
我輩が118ヶ条技の実技参考にさせて頂いた他の方は時宗先生、北海道神戸支部長でした。
今は昔の思い出話ですが・・・・
今は総伝・惟神普及に努めております。
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